誰にでも「弱点」がある。
気づいている弱点、気づいていない弱点。
自分の弱点は、気づかぬフリをしてしまう事がある。そして些細な事でその弱点を痛感することになる。
私は年賀状を減らせない人だった。
自分の分だけで毎年70枚以上を出していた。
いかに「管理」していくか。
そればかりに囚われてた。
「管理」をして「把握する事」が「片付ける事」だと思ってた。
年賀状の季節になると憂鬱になってませんか?
年賀状は整理してたけれど、年末になると毎年憂鬱になった。
親しい人は、メールや電話ですぐにやり取りできている。
年賀状を出すのは、過去形の相手が多い(親類や恩人は除く)
一度やり取り始めてしまって、既に会う事も話すこともない相手が大半。特に子供絡みは増える一方で、減らす事に苦戦していた。
年賀状は、書く時に「相手を思い浮かべる」必要がある。
その相手は、嫌な人ではない。
でも憂鬱になるのは何故だろう?
心と向き合ってみた。
じっと心の声に耳を傾けた。
「年賀状の憂鬱」の理由を考えてみる
そして、分かったのは、、
過去の弱かった自分を思い出すから。
人間関係で無理してた思い出が蘇るから。
毎年自分が出さなくても前年届いた分には全て翌年年賀状を書いた。翌年も出さない相手から届くと慌てて返信した。その繰り返し。
「出さないという選択肢」が自分には、なかった。
「太陽の彼女」が逝ってしまった最初の年末、年賀状ファイルを見て、いろんなことを考えされられた。
私が突然この世を去ったら、夫はこのファイルで私の親しい人が分かるだろうか?
本当に連絡して欲しい相手を見つけられるだろうか?
このファイルに意味はあるのだろうか?
そう自分に問いかけてみたら、答えはすぐに出た。
人生の最後の年まで年賀状を交換したい相手は誰ですか?
自分の寿命は分からない。
最後の年まで元気で生きていたとしたら、その年まで年賀状を出したいと思える人を思い浮かべてみた。
不思議なことだが、あんなに減らせなかった年賀状への気持ちがガラッと変化した。
その年末は、70枚以上出していた年賀状を、半分以下の35枚に減らせた。
プリンターで印刷していた宛名も手書きにした。
年賀状を、書く事が全然苦痛ではない意外な事実に気づく。
年明けに60枚ほどが届き、25枚は年始にお礼文面で出し、来年は出さないようファイルには入れるのはやめた。
その翌年は30枚に減らした。
年始に届いた8枚に「お返し」を書いた。
今年は24枚まで減らし、そして「お返し」は止めた。
ちゃんと読んだ、その時点で相手の気持ちは届いてる。出さない事で私の気持ちに片が付いた。
いつまでも良い人と思われる必要はない。本心に従わないと片は付かない。
そして現在、年賀状をファイルする事もやめた。
来年出したい相手だけ、「私用」と書いた紙を帯にして輪ゴムでくるんで終わり。
家族の分も同じように、1束づつに。
和紙で出来たハガキボックスに、3束入れてある。
これで、夫にも私の大切な友人知人が分かる。
少しホッとした。
何より年賀状を書く事が楽しみになった。
書く相手は、当分会えないけど、最後の日までには再会したいと思う人達だけ。顔を思い浮かべると「会いたいな」と思える人達。
そして、年賀状とじっくり向きあった事で、人間関係に弱い自分が小さくなった。
完全に片が付いた訳ではないが、10年前の自分とは大違い。
年賀状、出す出さないを決めるのは自分。
年賀状で見えてくる、本当の気持ち。
人間関係で心が曇っていたら、自分に問いかけてみよう。
答えは案外簡単に見つけられるから。