片付けは、物と向き合うだけではない。
心や気持ちを整理しなければならない時がある。
逝ってしまった友人は、「太陽の人」だった。
初めて会った瞬間、彼女の放つ光が眩しくて、目をこすりたくなった事を今でもよく覚えている。
決して華やかな美人とか、煌びやかに着飾っていた人ではない。
あの光は、本人の持つ「生きるパワー」だったのだろうか。
彼女は太陽のような強い光を放つ人だった。
太陽の人、月の人
一方、私は「月の人」だ。
「太陽の人」の前では、眩しくて自分が消えてしまう。
小さい頃から何となくそれを感じていて、太陽の人と親しくなる事はなかった。
子供が3歳の時に、私は彼女と出会った。
太陽のような彼女と過ごす時間は、今まで経験したことのない不思議な時間だった。
私が「月の人」であるのは変わらなかったけど、「太陽の人」と一緒にいると自由である自分がそこにいた。
彼女にその事を話した事がある。
「あなたは太陽の人、私は月の人。一緒に輝く事はできないけれど、お互いを補える。他人からは正反対に見えても、不思議にバランスがいい」
「太陽の人、月の人」
彼女はこのフレーズを気に入ってよく使ってくれた。
納得できるまで、心と向き合っていい。その時間が、自分を強くしてくれるから。
もう彼女はいないけれど、頭の中でいつでもその声と光を思い出す事ができる。
でも、思い出して泣く事は、ずっと前にやめた。
私なりに気持ちには「片を付けた」と思っている。
彼女は太陽の人、悲しみ続ける事を望まない。
私は今も「月の人」
弱い光だけど、いつでも太陽の真後ろにいる。
太陽が輝けない時は弱い光で補える。
月の光は弱いけど、それでも頑張って誰かを優しく照らせたら、役に立てたらいいなと思う。
気持ちに向き合う事は、辛いことも多い。
でも、そこに片を付けないと前には進めない。
「捨てる」のとは違う。
納得できるまで、心と向き合っていい。
その時間が、自分を強くしてくれると、今は思える。