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年賀状に疲れていませんか?「1枚も出さない選択肢」があることに気付かぬフリはもうやめよう

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昨年末は、年賀状を1枚も書かなかった。
今年の新年を迎えてから私宛に届いた年賀状にも返事を出さなかった。

他人から見たら私は無礼者だけれど、心に正直になれてホッとした自分を見つけた。

毎年12月後半に感じる「年賀状疲れ」に別れを自分で告げることにしたのは、急に思い立ったことではなく何年もの時間をかけて心を整理した結果である。

そして、この年末も1枚も書いていない。

去年まであんなに悩み多き問題だった「年賀状」に気持ちを乱されずに済んでいる。嘘のように心が軽い。

ただし、年賀状をやめるまでには多くの気持ちの葛藤があったことを忘れてはいけないのだ、と今とても感じている。

年賀状をやめるまでについて、簡単にまとめておきたい。

「年賀状をやめること」は簡単なようでとても難しい

若い世代の方々は、そもそも年賀状を出さない人が大半かもしれない。

もともと年賀状をやりとりしていなければ、やめるのもそれほど大きな問題ではないだろう。

しかし、アラフィフ世代の私にとって「年賀状」は当たり前の行事のように「出すべきもの」として習慣ずいてしまっているものなのだ。

同じ世代の人でも年賀状を出す枚数は人それぞれだけれど、年賀状を書くことを「楽しみ」だと感じている人はその内どれくらいいるのだろうか?

殆どの人が、義務のように続けているような気がする。

 

年賀状を出すのが必須である職業や環境の人を除いたら、心の底から「年賀状を書きたい」と書くこと自体に温かい心を向けられている人はどれくらいだろうか?

少なくとも、私はそういう気持ちを既に持てていなかったし、年賀状必須の環境にはいなかった。

それなのに、「何となく」が続き、年賀状と年末年始を共にしてきた。

出す事が楽しいと思えた最後はいつだろうか?

思い出せないくらい、私は年賀状を書くことに「疲れ」しか感じられなくなっていた。

 

もともと人間関係の複雑な所が苦手だったこともあり、子供が大きくなるにつれて関係の薄くなった相手との年賀状のやりとりに大して益々「疲れ」を感じるようになる。

片付けに真剣になり始めた頃から、自分の本心に気付き年賀状を減らすことにした。

実は、この「年賀状を減らす」ことが単純ではなかった。

誰を削って、誰を残すか。

そういう選択をする必要があったから。

この選択は文章で書くと単純だけれど、実際にやってみると簡単ではない。

それは、一人一人との思い出や関係と向き合う作業が必ず発生してしまう作業。

その人が直接関係なくても弱かった頃の自分が必ず思い返される。

心の弱くて痛い場所を、自分で掘り起こすようなもの。

忘れたい事

思い出したくない事

無かったことにしたかった事

そんな不都合な過去を蒸し返して向き合うことにはエネルギーが必要。

 

いろんな思い、複雑な感情。

向き合うことは、時には辛くて苦しい。

 

でも、そのまま「何となく」で年賀状を続けることに疲れた私は、後戻りは出来なくなっていた。

数年かけて、年賀状を出す相手を取捨選択し、枚数を減らし、心の重りを少しずつ下ろしていけたような気がする。

昨年初めて「1枚も出さない選択肢」を選んだ。

選んで実行したけれど、本当は「1枚も出さない選択肢」があるなんてそれまで考えたこともなかったことなのだ。

そんな選択肢があったなんて、、。

選択肢はあったのだ。ずっと何年も何十年も目の前にいつも。

選ばなかったのは自分。

あったのに無かった。見えていたのに見えてなかった。

隠していたものは、自分の心。

自分を守るために、選択肢を自分で先に消していたのだと思う。

年賀状をやめたら人はどう思うか?を考えたら切りが無い

「1枚も出さない選択肢」を自分が隠してしまっていたのは、きっと「年賀状を突然やめたらどう思われるだろうか?」という心配の方が大きかったから。

毎年交換していた相手から突然年賀状が届かなくなったら、相手はどう思うだろうか?

今なら分かる。

私の年賀状は、「誰かのためのもの」だった。

良い人でいたかった。良い人を続けたかった。それだけだった。

だから年賀状で心が疲れてしまったのだろう。

でも、年賀状をやめてみたら「年賀状をやめたら人はどう思うのか?」を気にする必要はないことを知った。

気にしていたら、出すのをやめた理由を一人一人にわざわざ説明しなければならない。たぶんその作業の方が年賀状を出すことより面倒。

年賀状は出したらそれで終わる。

心を隠して出し続ける方が、理由を相手に伝えることよりラクかもしれない。

言い訳したいことは沢山あるし、本心を伝えたい人も数人いる。

でも「年賀状疲れ」で心が弱ってしまっているならば、「1枚も出さない選択肢」を1度行使してみるのも一手だと思う。

他人は自分が気にするほど相手の年賀状の内容を覚えていない。

「あれ?去年はたまたまこなかったのかな?」ぐらいに思う程度だろう。

そして、1年届かなかったことで翌年から送ってこなくなった相手は、もしかしたら相手も年賀状のやめ時を模索していた可能性が高い。

年賀状をやめるやめないは個人の自由だ。

私はどちらが正しいという気はない。

「年賀状疲れ」を感じている人に、出さない選択肢もあることを伝えたいだけなのだ。

1枚も出さなかった年賀状、気づく気持ちに向き合ってみる

試しに、1回年賀状をやめてみると、いろんな気持ちに気付ける。

私は年賀状をやめてみて、新しい気持ちに向き合えた。

辞める前に想像していたのとは全然違うスッキリした気持ちだった。

 

年賀状に自分がどれほどエネルギーを注いでいたのか、今思うと不思議な感覚。

やめてみないと分からない事もある。

やめて気付くこともある。

 

1度辞めてみて、心の底から「年賀状を出し続けたい」と思える人もいるかもしれない。

感じた正直な気持ちが、正しい答えではないだろうか?

それは人それそれで、それが正解なのだ。

 

今年の年末も書かなかった年賀状。

ただし、これが完結ではないという気がしてきた。

年賀状をやめたことで「疲れ」が癒やされ、本心で向き合えるようになった人間関係。

その良い結果が、人との繋がりを求める方向へ新たな気持ちの変化を導きつつある。

 

年賀状を辞めることは、終わりではない。

もしかしたら、リセットして再スタートする準備期間かも。

辞めたときには分からなかった気持ちの変化は面白い。

今年も年賀状は出さないけれど、そんな前向きな気持ちの変化を感じている。

来年のことは分からない。

だから、今の気持ちを大切にしたい。

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