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年賀状、やめました。1枚も出さずお正月に感じたこと&減らし続けた数年間に意味があったこと

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新しい年が始まり、やっと普段生活に戻れてホッとする。

12月に年賀状をどうするか迷っていた記事を書いた。

年賀状どうする?去年は13枚に減らし、今年は「1枚も書かない」選択肢と向き合っている。
去年の年末、年賀状は13枚だけ出した。 数年かけて70枚台から少しずつ減らし、13枚を手書きで書いて送った。 さて、今年もまた年賀状を書く時が来た。 今年はどうする?何枚にする? 新しい年賀状を前にして、心の声を聞いてみた。 すると自分でも...

あの時は、まだ本当に書くかどうするか迷っていた。

そして、結局1枚も出さない、という選択肢を選んだ。

年賀状をやめても大丈夫だった。年賀状を書かなくても元気な私は今ここにいる。

いったい何年前から「年賀状」を書き始めただろうか?

私はたぶん、小学校1年生。

姉が友達と年賀状のやりとりをしているのを見て、当然のようにスタートしてしまった「年賀状」との付き合い。

初めは、そんな軽い気持ち。

そうして、中学・高校・大学・社会人・主婦、、時代の経過と共に、私にとって「年賀状」はとても重たいものになってしまった。

数年前、本気で年賀状を減らそうと思い始めたとき、私個人が送る年賀状は70枚以上。

年々12月が憂鬱だった。

最初は「年賀状を減らす」ということが、友人知人と断絶するような難しい事のように思えて、なかなか減らすことができなかった。

年賀状を減らして分かった本当の気持ち。人間関係の弱点を片付ける。
誰にでも「弱点」がある。 気づいている弱点、気づいていない弱点。 自分の弱点は、気づかぬフリをしてしまう事がある。そして些細な事でその弱点を痛感することになる。 私は年賀状を減らせない人だった。 自分の分だけで毎年70枚以上を出していた。 ...

70枚以上の年賀状、全てを見直して、数年かけてゆっくり減らしていった。

この時、自分の気持ちに向き合うことの大切さを実感。

年賀状は13枚だけ書きました。数年かけて5分の1以下に減らして分かったこと。
昨日、年賀状を書いた。 ゆっくり、ゆっくり、丁寧に。 宛名も文面も万年筆。 書いたのは、13枚だけ。 以前、年賀状を減らしたことのお話をした。 数年前の私は、自分の分だけで70枚以上の年賀状を書いていた。 減らした理由と工程は、過去記事を読...

2015年の年末に、やっと13枚まで減らすことができた。

以前の私から比べれば13枚はとても少なく感じたけれど、ここまで減らしてみると、気持ちに変化も現れてくる。

 

13枚しか出さなかった相手以外にも、私には友人知人はいる。

自分の親類には年賀状を失礼する旨を事前に伝えてあったので問題なかった。

今親しくしている人の半分は、住所を交換していない。メールで全てすぐ連絡可能。

そういう人にもメールで失礼を伝えて問題はなかった。

 

そして、今年は、1枚も出さない選択をした。

少し迷ったけれど、答えはすぐ出た。

「もう、年賀状はやめよう」

それが私の中で出た答え。

 

過去・現在も自分が「友人・知人」と思っている人は、きっと今後もこのままの関係だろう。

モヤモヤを抱えた人間関係は、もう絶つことに決めた。

だから、それでも残っている「友人・知人」は何か大きな出来事がない限りそのまま。

2015年末に出した13枚の相手は、過去の友人・知人。

メールアドレスも交換していない。住所だけはお互い知っている。

でも、今年会う人ですか?と聞かれたら、それはない。

懐かしい人々だけれど、あえて自分が行動してまで会いに行くとは思えない。

それくらい、私と過去の友人達の距離は、遠くなってしまっている。

 

2015年末には、そこまでは突き詰めて考えなかった。

でも、1枚も出さない選択肢があることに心が傾いた。

年賀状どうする?去年は13枚に減らし、今年は「1枚も書かない」選択肢と向き合っている。
去年の年末、年賀状は13枚だけ出した。 数年かけて70枚台から少しずつ減らし、13枚を手書きで書いて送った。 さて、今年もまた年賀状を書く時が来た。 今年はどうする?何枚にする? 新しい年賀状を前にして、心の声を聞いてみた。 すると自分でも...

年賀状を1枚も出さない選択権は、自分にある。

私は権利を行使することにした。

小学生の時に年賀状を書き始めて、初めて1枚も書かない年末を迎えた。

 

そして、2017年のお正月になり、我が家にも年賀状が届いた。

夫は現在も40枚ほど年賀状を出しているため、届く年賀中もそれなりの枚数。

年賀状を書かなかった私宛にも、届いていたようだ。

「ようだ」と他人事のように書いたのは、言葉の通り、初めて「届いた年賀状」をお正月に読まなかった。

お正月、私はもう「年賀状」に振り回されたくない、と思ったからだ。

 

先週、気持ちが落ち着いてから、初めて今年の年賀状に目を通した。

2017年お正月に私宛に届いた年賀状は、18枚だった。

18枚の中身はそれぞれだ。

引越しの連絡兼ねたもの、子供の成長報告、コメントがないもの等々。

 

数年ぶりに届いた年賀状もあった。

その人は私が年賀状をやめたのを知らない。

常識的に考えれば、「ごめんなさい」返信を出すべきだろうが、それもやめた。

去年出していた13枚の人にも、突然年賀状が途切れる事への釈明をする返信は1枚も書かなかった。

「○○さん、今年は私宛に年賀状出すの忘れちゃったのかしら?」

と思われているかもしれない。

もう、どう思われるとか、そういうことを考えるのはやめた。

そうでもしないと、「年賀状」はやめられない。

 

私はここにいて、元気で何とか暮らしている。

今は懐かしい誰かに会いたいとは特に思っていない。

年賀状を出さなくなっても、私はずっと私、変わらない。

同じ場所に住んで、同じ家族と毎年1才ずつ年を重ねて生きている。

 

もし、住所が変わることがあったら、知らせようとは思っている。

でも、実際その時になったらどうするのかは、分からない。

 

2016年分をもって、私は年賀状をやめました。

いきなり一気にやめた訳ではなく、数年かけて自分の気持ちに向き合って出す相手を減らし、書く枚数も減らした。

最後は、今年のような終わりかた、正しいか間違っているかは分からない。

でも、「終わりから始めるお片付け」というブログタイトルを付けた時に、本当はそれを望んでいたのだと思う。

これから人間関係は、もっともっとシンプルにしていきたい。

 

年賀状に関しては、個人差がある。

これは、「あるアラフィフ主婦」の一つの実例にすぎない。

年賀状を減らしたいと思ってこの記事に辿りついてくれたなら、過去記事も読んで頂けたら、人間関係を減らしたいと思った経緯をわかって頂けると思う。

私は今後年賀状は出さないが、届く年賀状がゼロになるまで、今後も考えることはあると思う。

その時に、また記事に書いてみたい。

1年は短いようで長い。

気持ちにもいろんな変化がある。

心の声は無視せずに、無理せず自分流で今年も1年過ごせたら嬉しい。

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