長い休職から職場へ復帰した初日。
私の心は、張り裂けそうな緊張感と不安でいっぱいだった。
この長い期間、ずっと同僚に迷惑をかけていたことへの「後ろめたさ」が一番大きかったと思う。
復帰初日に自分がどういう態度で同僚に接したらよいのか、正直よく分からなかった。
謝罪することから始めていいのか、お礼を言うところから始めるべきか、正解が分からなくてとても不安だった。
その日の朝のことを思い返すと、今でも胸がドキドキする。
「謝罪したい気持ち」と「不安」と「後ろめたさ」
全部をどうやって伝えたら良いか全然わからなかったけれど、自分なりの言葉を用意して当日臨んだ。
職場へ復帰した初日その瞬間のことを、今思い出しても胸が熱くなる。
なぜなら、自分が予想していた言葉とは全く違う言葉を同僚が掛けてくれたから。
「また一緒に仕事ができて嬉しいです」
休職して一番迷惑をかけてしまっていた若い女性の社員の人が、そう言って近づいてきてくれたのだ。
体調を気遣う言葉はもちろん一緒に頂いたけれど、それよりも、私にはその一言が一番嬉しかった。
そして、
「〇〇さん(私の名前)がしてくれていたお仕事、またお任せしたいので宜しくお願いします」
と言ってくれた。
その言葉をもらった瞬間に、私の中のどこかに眠って忘れかけていた仕事モードへのスイッチがゆっくり入った気がした。
体力も体重も急に落ちてしまった私はすぐに即戦力にはなれなかったけれど、
「また一緒に仕事ができて嬉しいです」という言葉が、その日から私の支えになってくれた。
後になって、別の部署の人から「すごく痩せてしまったけれど、大丈夫?」と何度も心配そうに声を掛けてもらった。
その言葉もとてもありがたかったけれど、
逆にそういう声掛けをされると「やっぱり迷惑かけてしまったな、、」という「後ろめたさ」が湧き立ってきて自分を責めてしまう感覚になった。
長期に職場を休職するということは、それ相応の理由がある。断念する勇気が必要な時もある。
さらに、長くて先が見えない日々を乗り越えて「職場に復帰する」ことにもかなりの勇気が必要なのだ。
勇気はすぐには湧いてこない。不安の方が先に大きくなってしまうから。
不安はいろんな想像も掻き立てる。
同僚に迷惑をかけた事実、誰かが代わりをしてくれた事実、その事実は変わらない。
不安の想像は勝手にどんどん大きくなって、復帰への気持ちを躊躇させる。
でも、それを乗り越えて始めて復帰への「勇気」が湧いてくる。
心が決まった時、それがその時。
誰かの貴重な時間を奪ったことへの制裁を受ける覚悟できた時に、再び立ち上がれた気がする。
だから、長期休職から復帰する初日に「体調大丈夫?」という言葉より「また一緒に働きましょう」という言葉の方が私には嬉しかったのだと思う。
その言葉をもらえたことで張り裂けそうだった不安いっぱいの心から空気が少しずつ抜けて「自分が今すべきこと、今できること」に集中することができた。
だから、同僚の言葉にとても感謝している。
今もその同僚と同じチームで働いている。忙しい職場なので個人的な会話はほとんどしないけれど、その人の指示のもとに働けている今日の自分がここに居ることがとても嬉しい。
私が役に立てているのかどうかは自分ではよく分からないけれど、復帰してから少しずつ頼まれる仕事が増えるたびに「感謝」を形にできることを実感できる。
あの日の最初の一言が違っていたら、私は今ここに居ないかもしれない。
あの日の最初の一言が、休職中に毎日感じていた「後ろめたさ」を全部包み込んでくれた。
残念だけれど「後ろめたさ」は消えることはない。
でも「後ろめたさ」を「仕事」で恩返しすることはできるのだ。
「後ろめたさ」は「私の強さ」に変わった。
「強さ」は「弱さ」から生まれる。
「弱さ」は「弱点」ではない。「弱さ」で作られた「強さ」は「自分の武器」になる。
その武器がその後の未来を少しずつ変えてくれることになるなんて、その時は全く気づかなかった。
あれからかなり時間が経過した現在、私はそれを体感している。だからこの記事を残そうと思った。
あの時の同僚の一言は、自分の未来を変えてくれる大切な言葉だった。