50代は、40代の頃に想像していたより「激動」の時間の中にいる気がする。
もっと穏やかで、落ち着いた日々が待っているのかと思っていた。でもそうではなかった。
自分や家族のことだけではなく、環境も時間の流れも10年前より変化の振り幅が大きい。
でも時々ふと立ち止まった瞬間に「今どこにいるのか?」「これからどう進んでいくのか?」不安になるくらい自分だけ静止画のようにスローモーションの中にいるように感じたことはないだろうか?
周りの早回しのような時間の流れと、自分の中に流れる時間との差のような不思議なそういう瞬間。
「激動」の時間の中に生きているからこそ、その不思議な瞬間を感じられる気がする。
あと10年過ぎれば60代、あと20年経てば70代。
その10年20年を「もう10年しかない、20年しかない」と考えずに「あと10年ある、あと20年ある」と置き換えて暮らしてみたらどうだろう?
激動の中のスローモーションを感じる瞬間に、自分の足を「この先の1歩」に切り替えてみてほしい。
周りの倍速で動く時間や人の動きは見ないで、自分の「一歩」を見つめてほしい。
激動の時間は変えられない、環境も1人では変えられない。
「最初の一歩」を踏み出すことは「次の一歩」の動きに確実に繋がっていく。
最初の一歩は、勇気がいる。
最初の一歩は、ちょっと不安で怖い。
頭では理解しても、最初の一歩はなかなか出せないし、慣れない動きはグラつくし歩幅も小さい。
それでも一歩を踏み出せたら、次の一歩は自然と付いてくる。
体の動きはバランスを取るように出来ているから次の一歩はちゃんと出せる。
大切なのは最初の一歩。
自分が激動の時間の中にいる時には、その激流に飲み込まれて一歩を踏み出すパワーは多分無い。
だけど、激動の中のふとしたそのスローモーションの瞬間は、その絶好のタイミング。
なぜなら、その瞬間は無意識に自分で作っているから。
立ち止まりたくても休みたくても、抗えない環境にいる時にこそ「そういう瞬間」を自分の中に作ることができるから。
次の一歩は自然に付いてくる、そう思えたら怖くはない。
大丈夫、「最初の一歩」は頭に浮かんだその瞬間から心をしっかり掴んで離れないものだから。
私はスローモーションのその時間が怖かった。自分だけ取り残されるように感じた時にその一瞬が訪れたから。
一歩を踏み出して違う方向に向かう勇気がなかった。その一歩が正しいのか判断できなかった。
最初の一歩を踏み出せたのは「あとで後悔するのは嫌だと思った」から。
トライしてそれで「ダメだった」ら、10年後にやらずに後悔することはないと思ったから。
先のことなんて、誰にも予想できない
見えない先のことを今から悔やむ必要はないのでは?と考え方を切り替えたら不安は消える。
一歩踏み出して、後悔したらその場所に止まったっていい。
一歩踏み出すことが次の一歩に繋がることは、歩みを進めた人にしか分からないことだから。
激動の渦の中を生きる50代、その渦巻くスピードは自分ではかえられない。
だから、一歩を踏み出してみる。それも確かな理由になるのではないだろうか。