お盆、御墓参り、お仏壇。
この時期ほど、お線香をあげたり、
亡くなった人や親族について考えさせられる時はない。
私は田舎育ちだから、
小さい時から冠婚葬祭の行事が身近だった。
でも、子供にとって、
お仏壇にある遺影はちょっと怖い感じがした。
黒やグレーの額縁のせいだろうか?
それもと、田舎の仏間は薄暗かったせいだろうか?
私の実家にも、大きなお仏壇があった。
父の親族の遺影があった。
でも、その中に一つだけ、
怖さを感じず、ずっと眺めていたい写真があった。
それは、祖母の遺影。
祖母は40代後半で亡くなってしまった。
残念ながら、私は会ったことがない。
祖母は遺影の中で、微笑んでいる。
優しい微笑。
おばあちゃん、と呼ぶには若い。
会ってみたかったな、
と小さい時から仏壇に手を合わせた。
親とケンカした後などには、祖母が生きていたらきっと優しく声をかけてくれただろうに、と想像しながら、早くに亡くなったことを残念に思った。
私はその遺影以外、
祖母の写真をある時まで、見たことがなかった。
ある日、片付け苦手の母が、
納戸の奥から祖母の生前写真を出してきた。
以前少し書いたが、私の母は片付けが苦手。
それなのに突然いろんなものを引っ張り出してきたりするのだ。
まだ病気になる前の祖母の写真が何枚か古い缶の中から出てきた。
母は写真を見て懐かしがっていたが、
私は正直がっかりしてしまった。
その写真の中には、とてもキツイ表情の祖母がいた。
キツイ表情の祖母は、微笑している祖母とは全く別人に思えた。
その時、母に祖母の事をいろいろ聞いてみた。
祖母は、かなりキツイ性格の人だったということだ。
でも、それで納得した。
あの遺影が選ばれた訳。
キツイ性格の中に、きっとたまに見せるこの優しい微笑があったのだろう。
遺影の写真を選んだのは、私の父だ。
亡くなってもずっと眺めていたかったお母さんの顔は、
この微笑の写真だったに違いない。
祖母の時代には、写真は数多くない。
管理するほどの枚数は残っていなかった。
それでも、その中にずっと見ていたいような表情が1枚だけあった。
それが、私の大好きな遺影のもとになった写真。
お盆近くになって、今年はなぜか何度も祖母の遺影を思い出す。
私はいつの間にか祖母が亡くなった年齢になっていた。
ふと思った。
祖母のような写真は私にあるだろうか?
?
祖母の亡くなった年になった自分は、あんな微笑の一瞬を残せているだろうか?
人生最後はすっきり迎えたいと思い始めてから物の片付けは進んでいる。
でも、自分らしい飾らない1枚には、まだ出会っていない。
さすがに、免許証の写真では、まずいだろう。
私は片付けを本気で始めてから、以前より気持ちもクリアに過ごせるようになった。
きっとこれから「撮るであろう写真」に、
祖母が垣間見せたような表情の自分を1枚残せたらと思う。
1枚でいいのだ。
その1枚で、家族は救われる。
会った事のない祖母に空想の中で会えたのは、
あの「微笑の写真」のおかげだ。
あの写真を撮影してくれたのは、誰か分からない。
美しい瞬間を残してくれてありがとう、と伝えたい。
お盆は帰れないけれど、遠くから手を合わせたいと思う。
祖母は、いつでもあの実家にある「遺影の中」にいる。
私も自分らしく生きたい、と思える。