時々大当たりの買物もあれば、失敗の買物だってする。
必要であって、スリルもある。それが買物なのかもしれない。
春は何かと買物という行動をとる機会が増える。
もしかして「送料無料」の文字を見たことで、買物の個数を増やしていないだろうか?
「送料無料」は本当に安い?その言葉の魔法にかかって無駄な買物していませんか?
「送料無料」という言葉の魔法にかかり、私は今まで無駄な買物を沢山してきてしまった。
アラフィフの今だから反省として、書けることもあるな、と思う。
少し前に書いたように、私は楽天さえ登録削除してしまった人だ。
楽天に限らず、通販やネットショッピングなど今まで沢山利用させてもらい、沢山の買物をしてきた。
そして、この数年はひたすら物を処分したり捨てたりしている。
捨てる時に心が痛むもの、処分に迷う物が出てくる。
私にとってはそれが「送料無料」にするために少額だからいいかとカートに入れた物や、他のブログなどを見ていて急に欲しくなって「送料無料」を探して買った物がいろいろあった。
活用できていないものほど、きれいな状態で残っている。
捨てる事にためらいを必ず覚えたのは、状態がきれいだったからだけではなく、
「無駄な買物をしたのは自分だった」と気づかされる事だった。
そんな思いが片付けの手を止める。
何度も何度も、手を止める。
止まるのは「後悔」が自分の胸にぐさりとその度に刺さってきたからだ。
繰り返し、繰り返し、物と向き合って、数を減らす作業をして、
ネットの買物でも、リアルな買物でも、買うことに慎重になっている自分に日々気づく。
「欲しい、欲しい」という気持ちより、
「買った後はどうなるんだろう?」
という思いの方が買う行動の前に沸き立ってしまい、捨てる作業にかけた時間と思いが交錯するのだ。
買換えようと思っている必要な物を買いに行っても、すぐ買えない自分もいる。
お財布にお金が入っていても、それは判断の基準にはならない。
買うという行動を自分が起こしたことで、その後に責任が出てくるからだ。
食べ物なら食べてなくなるからいいんじゃない?
と思っても、定期的に冷蔵庫掃除を繰り返していくと、そういう気分にもならない。
食べ物だって、飲み物だって、ある一定のストックは必要だけれど、
「送料無料」だから買おうとは思えないのだ。
洋服やインテリア用品なら、あまり気にしなくても良いかもしれないけれど、
食品だったら、その商品がどんな状況で保管されていた物なのか、分からない。
近所のスーパーや、大型ショッピングセンターなど、物の運搬や保管状況が垣間見れる場所とは違う。
届いた商品は、誰もが知っているメーカーの、誰もが知っている商品名で、本当にすごく安いのかもしれない。
ただ、どんな状況で保管され、どんな風に発送されたものであるのかの現実を見ることは難しい。
「送料無料」にするために、つい別の商品をさがす。その時間は短くないはずだ。
あと数百円だからという軽い気持ち、だれにでもある。
でも、今にして思う。
本当に必要なものは、たとえ送料を支払っても、それ一つだけ買った方が満足感が違うし、後悔も少ない。
たとえ、吟味して吟味して選んだものでも、実生活で使ってみたら合わなかったということはある。
それは間違いではないし、しっかり反省し検討し、次の買物の指南役にさえなってくれる。
損したくない、と言う気持ちも間違ってはいない。
でも、、、
送料無料にするために、何となく買ってしまったものほど、必要性の低い物だってある。
私の失敗談は、数えたら切りがない。
・安いと思って送料無料に合わせてネットでまとめてかった物が、結局使わず使用期限になり全て捨てたこと。
・ある人のブログで見て、私も欲しい!と思って買ってみたら、自分には使いにくい物だったこと。
・ポイントを消化するために送料無料を探して買ったら、あまりに酷い梱包で届いて嫌な気持ちになったこと(その商品は結局一度も使わなかった)
などなど、私の場合は「安いから」「送料無料だから」「人が使っていて便利そうだったから」という理由で物を買うと失敗する確率がとても高いことを自覚できた。
「送料無料」は魔法の言葉。
魔法にかかってしまったら、カートに入れた物を戻すのは難しい。
スーパーマーケットのカートなら、「やっぱりやめよう」と思えばすぐ商品を棚に戻すことができる。
通販やネットショッピングのカートは、見えているようで見えていない。
本当に必要な物だけを見極めて買ってほしいと思う。
私のような失敗買いは、他の方にはなるべくして欲しくない。
失敗買いに使った金額はちりも積もればかなりの額になる。
送料無料にするために、使う数百円は、本当に必要だろうか?
数百円の送料を払って、本当に欲しい物だけを買うことと、満足感は同じだろうか?
買物は必要で、買物は楽しい。
でも、時に方法を間違うと、無駄な買物が後悔の念を突きつけてくる。
買う行動を取るのは自分。買った物の最後を見届けるのも自分。
必要なものを、必要な時に買えたら1番いい。
忙しくて買えない時は、少し我慢してもいいのでは?
時間とお金、もっと大切にしたいと思う。
買うためのお金を手に取って重さを感じて見つめ直す、子供の頃はそうしていたはずなのに。
数字だけのやりとりで決済まで完了できてしまう今だからこそ、忘れちゃいけないこともある。
買った時の喜び、手にしたときの嬉しさ。
最後に感じたのはいつだろう?