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「10年後の自分」と「20年後の自分」を想像してみる。最後は「真っ白」でありたい。

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時は、誰にでも平等に与えられている。

1日も、1年も、みんな同じ時間を過ごす。

同じ時間の長さでも、中身は人によって違うだろう。

10年後、20年後の自分を、誰でも1度は考えた事があるのではないだろうか。

限りある時間を真剣に考えてみる。10年単位の時間を大切に生きるために今できること

最近、よく10年後と20年後の自分について考える事が多くなった。

 

それは、未来への希望ではなく、老いを強く感じ始めたからだ。

 

20代のような、若さはない。

30代のようには、頑張れない。

40代前半のような、曖昧な安心感はない。

 

それを感じたのは、自分だけではなく親達も老いていることを実感する出来事が増えたからだ。

鏡や写真に写る自分の加齢が怖いのではない。

「老いていく親の持つ問題」が自分たちに降り注ぎ始めてきた事が、アラフィフ真っ只中の自分にとって、一番大きい違いだと思う。

自分がそうであるように、親達も、もう頑張れないのだ。

一見ゆったりとした老後を過ごしている人達にも抱える問題が沢山ある。

見えるか、見えないか、それだけの違い。

 

10年後の私は、アラカン世代。

夫は定年退職している事だろう。

二人で、仲良く、楽しい老後を過ごしているかどうか、それすら分からない。

なぜなら、親の抱える問題もその10年分増えているからだ。

 

20年後の私は70代前後。

親が残していくだろうその問題で、悩んでいるかもしれない。

もしくは、老いた親の世話をしているかもしれない。

先の事を心配して悩んでいるという話ではなく、ここからが実は本題なのだ。

 

先の不安は誰にでもある。

時間は、みんなに平等だ。

片付けに真剣に向き合い始めてから、自分の最後について考える事が多くなった。

それは同時に、そこまでの時間を大切にしたいと思うようになったからだ。

 

親達の事も、幸せに見送ってあげたい。

残していく問題は、きっとその時も解決していないだろう。

だからこそ、それに備えて、今のうちに、

 

自分が解決できること

改善出来ること

片を付けられること

 

それらに、しっかり向き合いたいと思っている。

だから、10年後と20年後の自分をよく考える。

老いて悲しい自分の想像ではない。

いろんな問題に対処できるには、

 

今、何ができるか。

今、何をすべきか。

 

自分の最後の時に、後悔の念まで残したくない。

やり切って、それで解決できてない問題は、息子に残してしまう事になるけれど、それでも、「やらなかった後悔」だけは最後にしたくない。

 

どんな最後の一時かは分からないけれど、

その時が、来るのも今は怖いけれど、

でも、「物も後悔」も残したくない、と思う。

 

最後は、真っ白でありたい。

そうなりたい。

そうなるための「時間」はまだある。

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