9月に入ってから週末ごとに少しずつキッチン掃除と片付けを始めた。
ちょうど3週目、この3連休で全て終わった。
冷蔵庫、戸棚、引き出し、床下収納、壁、床。
洗ったり、拭いたり出来るところは全部に手をかけた。
1日で一気に行うこともできたかもしれないが、週末ごとに2時間ずつ時間を使うことで、いろんなことを考えながら、キッチンの物と向き合いながら、じっくり過ごした。
暑かった日も、雨の日もあった。
晴れた日に掃除ができるとは限らない。
自分の時間と体調と気力がマッチしたこの9月上旬が私にとってキッチン掃除に向いているようだ。
3週目が終わった時には、結局また冷蔵庫掃除に戻ってしまったけれど、それは堂々巡りではなくて螺旋階段のようにゆっくりステップアップしていけるものだとも思えた。
そう、全部終わった3連休の最終日。
すっきり片付いて、全ての物の場所が把握できたキッチンを見回して、達成感でうれしくなるかと思いきや、、、
何故だろう、
物が少なくなって整うことができたキッチンに立っても、料理する気力が出てこない。
掃除で疲れた訳じゃない。
もっと違う気持ち。
「この雰囲気は、好きではない、、、」
何となく、心の声が聞こえてきた。
声に出してみた。
「このキッチン、好きではない」
自分の本心、正直な気持ち。
以前、私は料理が好きだった。
今までいろんな道具や材料をたくさん買って、料理もお菓子もパンもあれこれ作った。
上手に出来なくても、美味しく出来なくても、作る工程が楽しかった。
でも、、
片付けに気力を向ける度に、
そのキッチン道具類が浪費の産物として形となってあちこちから出てくる度に、
心が痛んで自分を責めた。
出てきた都度、反省し、物を捨て、数を減らして見えない収納へと移動させた。
厳選して持つようになっても、収納することで本心も一緒に仕舞い込む。
それを繰り返していくうち、最近はお料理を億劫に感じるようになっていた。
今のキッチンで、1箇所だけ好きな場所がある。
それは、ガスレンジ脇に置くことにした陶器のキッチンツールスタンドと入っている道具類。
春に、レイチェル・クーの「パリの小さなキッチン」動画を見てから、ツールスタンドを復活させたものだ。
キッチン掃除が終わっても、何か物寂しさを感じたので、先日NHKで放送された「パリの小さなキッチン」の録画をもう一度見返してみた。
レイチェルクーは、本当に小さなパリのキッチンでいろんな料理を作り出す。
キッチンは小さいが料理のプロ。
道具類は本格的な物が多く、工夫がいっぱいだ。
番組内でも「小さなキッチンで料理の質を落とさず行程をシンプルにする方法を学んだ」と彼女自身が言っていた。
そうだ。
そういうことなのだ。
道具を持つことは、それ自体が「悪」ではない。
お料理を楽しむには、ある程度の道具は必要で、あとは工夫次第なのだ。
お料理が好きなら、道具を仕舞いこむ必要はない。
掃除して片付いた私のキッチンは、スッキリしていたけれど、このままでは違う気がして、配置換えをし直すことにした。
まずは、床下収納に仕舞いこんだお菓子の道具を全部出し、洗って乾かして、すぐ使えるスライド引き出しに移動。
キッチン家電類も扉収納の中から出して、以前置いていたバックカウンターに戻した。
どれも毎日は使わないものだけれど、大好きな道具類を目に見える場所に置いただけで気持ちに変化が現れた。
「何かを作りたい!」
むくむくとそんな気持ちが湧いてきて、掃除や移動で疲れていたのに、レイチェルクーの本を見ながらマドレーヌを作った。
もちろん急に作り始めたので、本と同じ材料は揃っていない。
家にある材料で適当に足したり違う物を加えたりして、レシピの原型はとどめていないマドレーヌになってしまったけれど、作る時間もオーブンで焼いている香りも、後片付けの時も、どんどん元気が湧いてきた。
それから数日経った現在、どんどんキッチンの物の位置は変化している。
私はキッチンで「隠す収納」は、きっぱりやめることにした。
「見えない収納」をすると、自分の気持ちも見えなくなってしまうことがハッキリ分かったから。
キッチンの道具も、これ以上減らすのはやめる。
片付けに力を入れてから食材や製菓材料もあまり買わないようにしてきたが、逆にそれが料理へのストレスにもなっていたことにも気づけた。
私のキッチンは、私が心地よくなければつまらない。
いくら整ってすっきりしたキッチンでも、私は全然楽しくない。
このままキッチンも部屋の片付けと同じルールで物を減らしていったら、数年後、私は料理が嫌いになったかもしれない。
どのお宅にもキッチンはある。
いろんなキッチン、いろんな片付け方法。
全てが同じでないからいいんだと思う。
私のキッチンは、3週末ごとにじっくり掃除と片付けをしたことで、大きく方向転換することになった。
片付けは、本当に面白い。
気持ちと片付けは繋がっている。
3週間前、冷蔵庫の掃除を始めた時には、まさかこんな気持ちになるなんて思わなかった。
変化を受け入れ、流れに身を任せる。
今夜は家族の帰宅が遅いから、これからパンを焼く予定。
久しぶりに作るパンを、きっと家族も喜んでくれるだろう。
たとえ上手く焼けなくても、作る時間は自分の時間。
楽しみも、何気ない日常の中に見つける事ができることを、「片付け」がそっと教えてくれような気がした。