去年の年末、年賀状は13枚だけ出した。
数年かけて70枚台から少しずつ減らし、13枚を手書きで書いて送った。
さて、今年もまた年賀状を書く時が来た。
今年はどうする?何枚にする?
新しい年賀状を前にして、心の声を聞いてみた。
すると自分でも気づかなかった「思いがけない気持ち」を見つけてしまったことに気づいた。
年賀状を最小限に減らしてみたら、「もう書きたくない」という気持ちが湧いてきた
昨年の13枚まで減らした話を書いた時には、来年は10枚以下にできるかも、と思っていた。年賀状でしかもう交流していないけれど、再会したい学生時代の友人達にだけ書こうとかと。
この数年は年賀状を印刷に出している。印刷先で年賀状もセット申込しているから自分で年賀状を買いに行くこともなくなった。
印刷完了して自宅に届いた年賀状、今年は50枚。
夫は早速35枚を書いて(宛名は印刷)、もう先週出したようだ。
残っているのは15枚。
この時は、10枚以下にするつもりだったから15枚でも十分だと思ったのだが、、、。
目の前に15枚の印刷済み年賀状を置いてみると、どうもペンを持つ気がしない。
「疲れているからかな?明日にしてみよう」
と、前後の忙しい日々を思いつつ、その日は書かずに戻した。
翌日は、年賀状の事を考えないようにしている自分がいた。
その翌日も、私は年賀状から距離をおこうとしている事に気づく。
10枚以下の年賀状なら、宛名とコメントを手書きしても30分も時間はかからないはず。今年のお正月に届いて次も出そうと思っている相手は区別してあるから、すぐ出せるようになっている。みんな懐かしい友人だけなのに。
それなのに、書きたいと思えない理由は何だろう?
もう、これは真剣に向き合ってみるしかない。
何故、書きたくないのだろう?
減らす作業をしていた去年までは、こういう気持ちにはならなかった。
誰を減らすか?減らしても大丈夫か?その後の人間関係が悪くならないか?
お正月には届いた人の中から今後もお付き合いを続けたいけれどメールでやりとり可能な人には改めてメールを出したりしていたのに。
今年は、1枚も書かないという選択肢がいつのまにか出来ていた。
去年までなかった「年賀状1枚も書かない」という新しい選択肢。
最初、その選択肢に気づいた時は、「いやいやそれは無いだろう」と気持ちを打ち消した。
でも、やっぱり気持ちは正直で、心は正しい答えを求めている。
今年は年賀状、1枚も書きたくありません。
自分の気持ちはそう言っている。嘘はつけないようだ。
どうしてか?
そこがポイントなのだけれど、何となく分かってきたのは、他の人に対する気持ちが私は今とても薄くなっている、ということ。
かといって、誰とも交流せず1人きりで過ごしたい、と思っている訳ではないのだ。
年賀状を送る相手に距離感を感じている、というのが正直な気持ちだろう。
現在進行形ではない相手を思う気持ちが薄れている。
気持ちを文章にするのは難しいけれど、その言葉が合っていると思う。
メールでやりとりできる相手に年賀状を送るのを昨年やめたら、気持ちが軽くなったのを思い出した。
たぶん、現在進行形の友人と、過去の時間を共有した友人との関係には自分の中で違いがある。
最近は、現在進行形の友人とさえ交流は控えている。
でもそれが私には「前進」を表していて、誰にも振り回されないし、相手の事も気にならない、そんな状態が心地良いのだ。
それに反して、年賀状を送ろうと思っている相手は「過去形」
懐かしい、でも、その頃に戻りたいとは思わない。
10年以上合っていない相手の近況報告は、聞かなくても1年は何も変わらない。
その情報を特に聞きたいと思っていない、そのことに気がついた。
まだ、年賀状は手元にあって、今日現在も1枚も書いていない。
書くか、書かないか、なぜかトコトン自分に向き合ってみたい気持ちになっている。
書かない事に我慢できなくなるだろうか?
書いてみないと感じないこともある。
出すか、出さないか。
書くか、書かないか。
1枚も書かない選択肢がそこにある。
大人になってから今まで、そんな選択肢を自分がするとは思えなかった。
だから、1枚も書かない選択肢は無いと思っていた。
でも、選択肢はある。しっかりそこにある。
来年の今頃、この文章を自分で読み返したらどんな気持ちになるのだろう。
2年前の自分なら、「どうしちゃったの??」ってビックリするに決まっている。その時の自分には「1枚も書かない」という選択なんて無かったのだから。
あと1週間、トコトン気持ちと向き合ってみよう。
今は7:3で、書かない選択に傾きかけている。
今日は1日、大掃除を頑張った。
書かない選択に気づいてから、不思議に別の意慾が湧いてきている。
私の選択は間違っているだろうか?
気持ちにまっすぐ進んでいいのだろうか?
自分に嘘はつけない、それだけは分かっている。
だとしたら、答えはもう決まっているのかもしれない。