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家のメンテナンスと片付けは、「心のゆとり」で向かう方向に差が出てしまうことを感じた1日

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日曜夜に、お風呂に入っていたら急にシャワーがぬるくなった。

操作パネルにはエラー表示もない。

この夏、時々ある事だったから、またかな?と思った。

 

いつもなら、給湯器の電源を入れ直せばすぐ治るのに、その日に限って、不安定。

 

月曜の昨日は、外出の予定がなかったから、ガスメンテナンス会社にお願いして、状態を見てもらった。

 

すぐ原因がわかった。

不完全燃焼などのガスのエラーではなく、お湯と水の量調整部品が壊れかけているとのこと。

1時間半ほど作業をしてもらい、お湯が普通に出るようになった。

 

完全に壊れる前でよかった。

壊れて部品取り寄せなどになり、急にお風呂が使えぬ数日ができたら、部活で汗と砂とホコリまみれの息子をどうしていいやら、我が家にとってはけっこう大問題になるところだった。

 

この夏は、私自身に「心のゆとり」がなかった。

目の不調のことで、体のメンテナンスだけで精一杯。

時々起っていたシャワー温度の不安定を、「よくあること」という一言で済ませてしまっていた。

 

ガス給湯器は、エラー表示も細かく表示されるため、表示出ない事に勝手な安心感を知らぬ間に持ってしまっていたようだ。

 

本当に、昨日メンテナンスを呼んで良かった。

ある日突然、水しかでなくなるなんて、真冬だったらと考えただけで、、、。

 

我が家のマンションも住んでからもう10数年。

新築で購入したけれど、10年を過ぎた頃から、あちこち機器の不具合が発生して自己負担額も年々増加しているように思う。

 

新しい時にはなかった不具合が、年月を経ると起こってくる。

これは仕方ない事。

 

体だって同じ。

そして、片付けも同じだと思った。

 

家も体も片付けも、メンテナンスには時間とお金も必要だが、大事に至らないようにしていくメンテナンスには「心のゆとり」が一番大切だと最近強く感じる。

 

本当に壊れたり、病気になったら治すための行動をするのは普通だ。

でも、

「あれ?いつもと違うな?」

と感じたり、思えたりすることは、

心にゆとりがないと流してしまう可能性が高い。

 

片付けだって、同じだ。

合わないと思いながら使い続けたり、持ち続けたり、そのことで心が重くなっている事に気づかずに暮らしてしまう。

自分に更なる重石を乗せてしまう。

 

心のゆとりがある時は、物と向き合う事ができる。

 

誰しも、いつでも「心のゆとり」がある訳ではない。

しかし、自分の努力や工夫でそれを作り出したり、変えていくことは可能なのだ。

 

昨夜は安心して温かいお風呂に入れた。

「心のゆとり」が、「体のゆとり」もなる。

 

家や心や片付けの、いろんなサインを見逃さないようにしたい。

「心のゆとり」がもたらす物の大きさを、実感した1日だった。

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