「あなたは、我慢している事がありますか?」
そんな質問を唐突に受ける事はないけれど、
私は年末から、ずっと自分に問いかけていた。
人によって「我慢」の定義は違う。
忍耐?
妥協?
我慢?
諦め?
私にとって我慢とは、、何だろうか?
そう思い始めてから、いろんな瞬間に心に向き合ってみた。
私にとって我慢とは、
「本心を伏せてしまう事」
本心に向き合う前に先に答えを出してしまう事で、自分が辛くならないように自分自身がしている防衛策のような気がしてきた。
問題なのは、その我慢に自分の「意思」が関わっているという事実。
我慢は、自分が選択しているように思えてならないのだ。
12月に何度かそれを実感する事があった。
我慢したことで、結果的に事はスムーズに進んだが、不満足感の方が大きく残ってしまった。
我慢をしなかった場合は、どうなっていただろう?
もし、結果に大した差はなかったとしたら?
多少リスクを伴ったとしても結果に大きな差が出るなら、
「我慢しない方」を選びたいと思うようになった。
私は昨年、仕事での我慢をやめた。
我慢をやめて初めてわかったことは、
その我慢は、周りに伝わっていなかったという事実。
我慢を負担に感じていたのは自分だけ。
自分で我慢を決めて、自分で自分を追い込んでいた。
だから、今年は「我慢すること」をやめることにした。
いろんな場面で、今までの自分なら「我慢」したであろう事をやめてみる。
とは言え、今まで自分に自分で「我慢」をしかけていたのだから急に変われる訳ではない。
今は、我慢しない感覚を意識するお試し生活。
まずは1日1つだけ「我慢しない」選択をしてみている。
その結果を確認しつつ、それの繰り返し。
我慢しないことは、けして贅沢するとか浪費するとかではない。
選択の際に、自分の本心に向き合うこと。
人生は短い。
1つの選択が、これからの日々に大きな差を生んでしまう。
その差を感じた去年。
だから、今年は「我慢」をやめてみる。