偶然とは素晴らしい。
偶然がこんなに嬉しいものだとは知らなかった。
数秒違っていたらすれ違うことは無理だったし、家を出るタイミングが少しズレていただけでも本来会う事はなかっただろう。
そんな偶然の再会が最近続いて起きたのだ。
「偶然」が教えてくれるお知らせやサインに気付いていますか?
本来この場所にいるはずのない人が、ある日見慣れた風景の中に突然現れた。
この場、この時、 同じ空間に一緒にいられる訳はない人。
誰にでもそんな相手はいると思う。
例えば週末の行きつけのスーパーの売場コーナーを曲がったら、正面にその人がいた。
例えば数ヶ月ぶりに家族で食事に行ったレストランで真後ろのテーブルに、その人かいた。
私もビックリしたが相手もとても驚いて、最初は現状把握できずにポカンとお互い凝視するだけ。
段々に理解できて我に返り、数年ぶりの再会を喜びあった。
また会えたことの意味
「また会えるよね」とお別れしたまま、その後は自然消滅。
自宅がこの場所にあるなら戻ってくる事も期待できたけれど、
そうではない場合に「さよなら」は本当のお別れになるパターンが多い。
そんなお別れを何度も重ねてきたけれど、今回はとても希なケースだった。
なぜここにいるはずのないその人が、この時、この場所にいるのか、後で理由を聞いたらすごく納得した。
それぞれのご家庭には事情があり、いろんな理由、いろんな経緯がある。
お子さんの進学問題であったり、ご親族の問題であったり、、。
アラフィフ世代なら、みんなそれぞれいろんな事情がある。
「戻ってきたよ」と簡単にメールできなかった理由を知ると、
数年前に「さよなら」をして割り切ってしまっていた自分に対して後ろめたさも感じた。
でも、その人と思わぬ再開を果たした瞬間、心の底から湧き立つ嬉しさがあった。
その人の姿を見て、それが現実と分かった瞬間に「私は本当にこの人に会いたかったんだ」と胸が熱くなった。
「会いたい」と思う人に会えることは偶然ではない
「さようなら」をして、もう会えないだろうと思っていた人に会えた時、とても感じたことがある。
それは、今回偶然再会できた人達は、最近ふとした瞬間に思い出すことが多くなり
「また会いたい」と思っていた人達とピッタリ一致していたこと。
今年に入ってから、ふとした機会に彼女達を思い出す機会がとても増えていた。
その人達は、全く異なる集まり事で知り合った相手だが、数年間楽しかった時をそれぞれ一緒に過ごしたけれど、遠い場所への転居してしまってから連絡はいつの間にか途絶えてしまっていた。
数年後、
人間関係を整理して人に会う機会も自分から減らしてみたら、逆に忘れかけていたのに余計思い出す機会が増えていた。
当時は転居をきっかけに自然消滅の「さよなら」をしてしまったけれど、
彼女達の存在が気づかぬうちに私の中でゆっくり大きくなっていたことに自分では気付いていなかった。
偶然の再会後に改めて連絡先を交換し、後日それぞれとゆっくり会うこともできた。
再開後にそれぞれとランチしながら、
経緯を知り、事情を理解し、そしてまた「お友達」として再スタートした。
お知らせのサインを受け取るにはパワーも必要
会いたいと思っていた人に会える時、不思議なタイミングはどこから来るのだろう?
何かのお知らせやサインのようなものだろうか?
私の場合は、気持ちが定まって新しく正しい方向に進み始めた時に似たような事が続けて起こる気がする。
お知らせやサインを受け取るのにはパワーも必要だ。
弱っている時では受け取りにくい。
例えサインを受け取ったとしても、弱いがために気づかないことさえある。
全く予想していなかった今回の再会続きに感謝し、感じることも多かった。
私はこの1年、人との交流を減らすようにしていたけれど、少し方向性が変わりそうな予感を感じた。
会いたいなと思う人に偶然バッタリ出会えた時の、あの感覚を覚えておきたい。
タイミングは偶然ではない。
お知らせやサイン、気付くことができるのは自分だけ。
気付けたなら、無駄するのは勿体ない。
会いたいと願う心がまっすぐなら、きっとまた必ず会える。
自然消滅の「さよなら」は本当の別れではないし、
「さよなら」の後に、もう一度始まる人間関係もある。