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息子のクローゼット片付けで見えたのは、「思い出」に対する親子の感覚の違い

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高校生の息子の部屋には、幅65、奥行き55、高さ2メートルのクローゼットがある。

横幅は狭いが、天井まである縦長の収納。

 

4段に分かれていて、下2段は洋服用ポールも棚も細かく高さ調整ができる、いわゆる「システム収納」

 

夏前、衣替えの時期に息子から2つ文句が出た。

 

1、小学校時代のゲームソフトが見つからない(他の探し物も見つからない)

 

2、変な臭いがして、制服にもその臭いがする。

 

私は、ちょっと痛い所を突かれた気持ちになった。

その2つとも、少し前から私も感じていた事だったから。

 

でも、「ここは息子の管理エリアだから」という理由を盾に手を付けずにいた。

 

押入れ同様、難易度の高い場所なのだ。

日々使う物よりも「思い出」に関する物が多いから。

 

秋の衣替え時期になり、今度こそクローゼットに向き合わなければならない時がきた。

 

変な臭いは、腐った臭いとか異臭ではない。

忘れられている物達が出している淀んだような空気。

 

まずは、中身を把握する必要がある。

 

上2段には、小学校の時のランドセルと習い事関係書類、ガンプラの箱が大小14個。

3段目は、制服やコート類、中学・高校の教材など。

一番下は、小学校時代の思い出箱や雑多な荷物。

 

それぞれの段に分けて、全部出して、見渡してみた。

何度かの見直しを経て入っている物ばかり。

 

だから、「息子の物しか入ってない」と思っていた。

でも、実際はここも違っていた。

 

確かに息子の物ではあるけれど、保管を頼まれていない物が沢山出てきた。

学年末に「もう要らない」と出してきたプリント類や資料などを私は捨てられなかった。

 

というよりも、

後になって捨てたら困るかも!

という心配が強くて、保管していた。

 

更に、古い物で不要な物もいろいろ、、。

小学校時代の習い事の連絡ノートやら、電池を付けたままの工作類とか。

息子は工作が苦手だったから、自分の作品には未練を持たない人なのに、保管していたのは私だった。

 

そういう物の多くを処分しただけで、下段に空間ができすっきり見やすくなった。

工作類を保管していた箱が無くなったり、雑多な書類がなくなった事が大きい。

 

私にとって、息子のクローゼットは、

「思い出を保管している」というより、

「心配ないように保管する場所」だった。

 

それとは反対に、

息子にとってクローゼットは、

「大事な思い出がまとめて入っている大きな箱」

という認識。

 

特に、ガンプラや古いゲーム機器、その攻略本や、小さい時に好きだったアニメグッズの保管場所。

さすがに高校生だからガンプラや小さい子向けのゲームで遊んだりはしないのだが、時々引っ張り出してみたい時が年に1度ぐらいあるという。

ランドセルも、絶対捨てないで欲しいと言われた。

 

でも、小学校時代の文集とか作品類とかには興味がないそうだ。

 

親子で「思い出の物」と認識している物が違っていたという事実。

 

捨てたのは、私が心配で残しておいてあげよう、と思っていた物ばかり。

でも、現実には不要だった。

(文集などは、今回は一切捨てていないが)

 

クローゼットは小さいと思ってたが、けっこう大きかった。

全て出して、掃除して、処分するものは抜いた。

改めて区分し直して、すっきり収納に変わった。

 

3段目は高校生の現在使うものだけ。

4段目は、それ以前の思い出の品たち。

 

オレンジの香りの掃除スプレーで拭いたから、とてもいい香りがする。

仕上げは、アロマオイルのユーカリの香りでスッキリ感をプラス。

 

金曜帰宅した息子にすぐ見てほしいと言ってみたが、

「探したい物が見つけられて、変な臭いがしなければいい」

と軽くあしらわれて終わった。

 

息子との認識の違いを実感し、自分の選別の甘さを知った。

 

子供は大きくなっていく。

気持ちは、親と同じではない。

 

「子供たちは、既に自分の人生の主人公になっているんですよ」

と、春に聞いた担任の先生の言葉が思い出された。

 

親は、脇役の1人になった。

それが、これからの私の役割。

 

息子のクローゼットの片付けは、

私の気持ちの片付けでもあるように感じられた。

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