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「片付ける能力」は遺伝でも環境でもない。その必要性をどう捉えて暮らすか、違いはそれだけ

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私の母は、このブログでも何度か話しているが、

「片付け苦手」な人だ。

 

私も家族も、その事で何度も振り回されてきた。

 

しかし、

その母の母、つまり祖母は、

「片付け上手」な人だった。

 

片付けだけでなく、掃除も得意だった。

 

母の実家は、いつ訪ねても「凛」とした空気が流れていた。

入口の部屋は、黒い板張りで、いつもピカピカだった。

 

散らかっているのを見たことが無かったし、

何か物が置きっぱなし、という事もなかった。

 

入口の奥に、和室が2部屋続いていて、

いつも、すっきりした畳の上に、新鮮が空気が流れていた。

 

現在、祖父母は他界し、その孫世代(私のいとこ)が家を建て替えて暮らしている。

 

それでも、玄関は同じ位置だから、

目をつぶると、その「凛」として黒光りした床がすぐ思い出せる。

 

それなのに、、、

私の母は、片付けも掃除も苦手な人だ。

 

祖母にとって、私の母は実の娘。

母には姉妹もいて、家事はきちんと教わったそうだ。

 

でも、でも、

私の母は、祖母のような「凛とした空間」を作り出す事はできない。
(現在進行形)

 

だから、母を見て思う。

 

片付ける能力は遺伝でも育った環境でもない!

 

母と祖母の違いは何だろう??

私は子供の時から、よく考えざるをえなかった。

 

両方とも来客の多い家だ。

人の突然の来訪は、日常茶飯事。

気軽に、お茶をどうぞ、と誘う環境。

 

だから、来客の数が必ずしも「片付け能力」の違いとは言えない。

 

もし、違うとしたら、

家の立地や家族構成だろうか、、。

 

何度も考えたが、「これだ!」という結論には現在も至れていない。

 

1つだけ、これかな?と思うのは、

 

母と祖母は、

「片付け」に対する考え方や捉え方が違ったいたのではないか、という事。

 

その小さな違いが、

日々の暮らし方の違いになり、

そして家全体の違いになる。

 

母親という存在が、作り出していく家の雰囲気。

 

どちらが、良い、悪い、という話ではない。

 

その人、本人の考え方や姿勢次第だと、

母と祖母の事で、そう感じている。

 

私は、母の「片付け苦手」の負の面で何度も困らせられてきた。

でも、けして母が嫌いではない。

 

祖母は、笑わない人だった。

いつも、「凛」としていて、

甘えられない空気を醸し出す人だった。

自分の予定で出かける事はなかったし、いつも家にいた。

来客は多かったが、祖母の友人が気軽に訪ねてくることはなかった。

 

その娘、「片付けられない母」は、反対に、笑顔の人。

いつも笑顔を絶やさない。

友達も沢山、いろんな事にもチャレンジする人だ。

 

私の実家にピカピカ光る床は1枚もないが、

来客を安心させてくれる雰囲気を自然に出せる母なのだ。

 

だから、

 

「片付ける能力」は、その人の気持ち次第。

何かがきっかけで、突然目覚める事だってある。

 

片付けられない私の母だって、

いつ、その必然性を感じて行動し始めるか分からない。

 

片付け能力は、遺伝でも、育った環境でもない。

その人が、必要とするか、どう捉えるかの違い、それだけだ。

 

片付け上手な祖母と、片付け苦手な母。

二人の血を引き継ぐ私。

 

今は、片付けが「自分に必要」と思えるから行動している。

 

でも、笑顔は絶やしたくない。

 

「凛」とした部屋に、笑顔がある。

そんな片付けを目指したい。

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