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「友人のコーデをほとんど覚えてなかった話」、その後。

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「友人のコーデをほとんど覚えてなかった話」を3月後半に少し書いた。

1週間前に会った友人のコーデがほとんど思い出せなかった、というその話にはその後続きがある。

先週会った友人のコーデを思い出せますか?人は意外と他人の洋服を覚えていない
今月は、公私ともに食事会や送別会などの予定が多かった。 夜の飲み会(送別会含む)だけでも3回あり、数年ぶりに会う方などもいて、 よく話し、よく食べた。 3月の約束が全部終わったので、週末に改めて冬服の整理をした。 自分が気にするほど他人は自...

あの記事を書いた時には、あまり気にならなかったのだが、

そもそも「友人のコーデを覚えていかなった」のは、私の記憶力が老化しすぎているのでは?

とだんだん心配になってしまった。

相手のコーデを思い出せないのは、その人に対して興味が薄れた証拠かもしれない

数日後に、年上友人と電話で話す機会があり、その話をしてみた。

何時間も一緒にいた友人のコーデを殆ど覚えていなかったのは、

・物への執着心を減らせている証拠なのか?

・そもそも、加齢による記憶力低下なのか?

ファッションに詳しい年上友人は、即答してくれた。

 

「その相手に対する興味が薄れたからじゃない?」

 

これ、指摘されて気づいたのだが、実はとても的を得ていた

相手に興味があると、洋服や持ち物が気になる、記憶にも残る。

興味が薄れると、そういう事が気にならなくなる、記憶にも残りにくい。

つまり、興味をもって見る対象は、たとえ洋服だってしっかり記憶に残るのだ。

私が相手のコーデを覚えていなかったのは、相手への興味も薄れているし、「一番親しくしていた時期は過ぎてしまった」という時間経過の表れでもあった。

本当は、「物への執着心を減らせている証拠」だと思いたかったが、現実には少し内容が違ったようだ。

「そんな簡単に、物への執着心はなくならないわよ」と、年上友人が笑って言った。

まだまだ修行が足りないということだ。

 

友人のコーデを思い出せなかった話は、まだこの先も変化するかもしれない。

少なくとも今は、人の持ち物を羨ましく思わなくなった自分がポツリと立っている。

 

以前の自分と、今の自分。

興味のある事も、興味を持つ対象も変わる。

それだけ時間が流れているという事も忘れてはいけないと思った。

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