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「したい事が出来ない」時にこそ、自分が「本当にしたい事」が分かる

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先週、目の不調が悪化してしまった。

 

気を付けていたものの、痛みが治らず、

土曜の朝、起きて鏡を見て、自分で驚いた。

 

左目のまぶたが、腫れて赤くなり、視界を邪魔していた。

 

慌てて、朝一で眼科に。

 

検査の結果、両眼の角膜に傷がついているそうだ。

当面、コンタクトは不可。

 

私は、昨年から老眼の症状とは違う目の痛みで定期的に眼科通いをしている。

眼科処方の目薬が欠かせない日々だった。

 

自分では、その原因もよく分かっている。

仕事の勤務時間が長くなったことと、その時期が一致しているからだ。

 

今までも、目の不調はあったが検査では異常なし。

もともとドライアイと疲れ目の関係だろうとのことだった。

 

コンタクトをやめてメガネにしたら、物はもっと減らせるだろうか?
私は40代前半から老眼が始まった。 最初は文字に焦点を合わせにくくなり、 それがだんだん進んで、 コンタクトをしたままでは、目が疲れて読書ができなくなってしまった。 去年はコンタクトを二度も作り直し、それに合わせて中近両用メガネも作った。 ...

 

それまで何でもなかったことが、体には負担になり始めている。

先月ぐらいから、連続勤務後の目の不調が顕著になっていた。

 

実は、今年に入ってからその生活に限界を感じ始めていて、対応策を取らなければと思う日々を送っていた所だった。

 

そして、夏の旅行で心を落ち着けて良く考えて、

ある決断をして実行に移したばかりだった。

 

体の限界は、自分で気づくことができる。

判断を先延ばしすることは、とても危険だと今回よく分かった。

 

私の目は、回復力が鈍っている。

角膜の傷は、治療ですぐ治るそうだが、

まずは、回復するまで、目を休ませる生活が優先だ。

 

目が、今まで通り使えないというのは、結構不便だ。

まあ、痛みがあるから、しかたがない。

 

それでも、そんな時こそ、無性に目を使う事がしたくなる。

 

私の場合は、読書がしたくてたまらない。

 

「したい事ができない状況」にあると、「本当にしたい事」が見えてくる。

 

そんなことが、こういう場面で分かるなんて不思議だ。

 

今は、読書に没頭する目のパワーがない。

でも、読めない時には、読みたい本が自然に浮かんでくる。

 

目が治って、読書に時間を費やせる生活に戻りたい。

 

「できない状況」にあることは、けして「残念な事」ばかりではない。

自分と向かい合う事ができるのだ。

 

向かい合わなければ、この状況も先には進まない。

先に進むためには、今と向き合う必要がある。

 

今は、自分との対話の時間と考えることにした。

心の整理、気持ちの片付け。

読書はできないけれど、それならできる。

 

「できない時」に、「できない事」を悔やむのはやめて、

心と向き合う事に時間を使いたいと思う。

 

それは、贅沢な時間かもしれない。

この時間が、これからを作ってくれるような気がする。

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